昭和:ジャングルに出現した近代化設備
昭和に入ると、新たに浦内川支流の宇多良の方に丸三炭坑宇多良鉱業所が開坑され、西表炭坑の主舞台はここに移っていきます。この炭坑が開かれたときの写真を見ると、ジャングルのなかにひとつの炭坑村が出現したことがわかります。坑夫たちの納屋、三百人も収容できる劇場兼集会場、坑主・野田の邸宅といったように、ジャングルを切り開いて村がつくられました。アセチレンのガス灯が不夜城のようについていたといわれています。当時としてはかなり近代的設備だったようですが、戦時体制に入っていくに従って坑夫たちの処遇は厳しさを増し「圧制の炭坑」として坑夫たちからは恐れられました。